豊穣の角の覚書

マンガのお仕事をしていた頃 &今の暮らし あれこれ

10年めかぁ

あの日は所用で隣の県まで足を伸ばし、いつもは帰りの乗り換え駅で降りて食事をするのだが、何故か気が進まず

そのまま自宅から割と近い駅まで移動したところであの地震が起きた

 

長い長い揺れ

建物から離れて通りの真ん中に移動して立ちすくむ人たち

停まった車の中には固まった表情のドライバー

 

収まるどころか更に強い衝撃が来て、揺れも大きくなったあたりで泣き出す若い女性がいた

 

東京の下町生まれなので子供の頃から関東大震災の悲惨な話も聞いていたし 南海トラフ 首都直下型と言った単語は恐怖と直結していた

とうとう とうとう とうとう来た

 

ようやく揺れがおさまったところで 案の定ガラケーは通話もメールもTwitterも繋がらず、交通機関は止まり、その辺りに一台だけの公衆電話に長い列ができた

 

当時 高齢の家族が一人で自宅で過ごして居たので連絡を取りたかったが、徒歩でも1時間程度で自宅付近まで戻れたので電話は諦めて歩き始めた

 

空気がとても冷たくて空が暗かったのを覚えている

 

何故かこの時 歩きながら頭の中で繰り返し 金毘羅ふねふね♪ が再生され、四国に縁故は無いし普段特に歌った記憶もないのに何故?と不思議だったのだが、昨年、最初の緊急事態宣言中 人通りが激変した街をウォーキング中にも同じことが起きた

 

気がつくと頭の中で歌っている

周囲に人がいない時は小さく声に出した

ネガティブな記憶に紐付けしてしまって歌に申し訳ない気もするが、どうも非常時に自分を鼓舞しているらしい

 

当時 自分の人生の終わりに10大ニュースを選んだら確実にこの震災はランクインするな と思っていたら今度はこのパンデミック

 

それでなくてもこの10年 自然災害が増えた印象がすごい

 

もうトップ10にエントリーするような事態は勘弁して欲しいものだ